ふつうのじゆうちょう

日々思ったこと、思い出したことを自由に書いていきます。

MENU

何が正しくて、何が間違っているのかを考える。『流浪の月』作者:凪良 ゆう

生まれてからずっと恋人がいない。結婚しているのに子どもがいない。食べることが大好きで、ずっと肥満体型だ。これは、不幸なことなのだろうか? 答えはもちろん『人による』。恋人や子どもがいなければ、休みの日に好きなだけ眠れるしいつでも自分の好きなことができる。例え太っていたとしても、自分はこの体型でいることを1ミリも不幸だと思わないし、むしろ美味しいものを食べられる毎日を幸せだと思っている。だったらその人は不幸ではない。

 

流浪の月

流浪の月

 

 

2020年、本屋大賞を受賞した『流浪の月』。何が正しくて、何が間違っているのかを考えさせられる物語だった。

 

自由な両親と暮らしていた更紗(さらさ)。ある日両親を失い、伯母の家に引き取られた。そこではこれまでの暮らしを否定され、窮屈な思いを強いられる。学校帰り、公園のベンチに座り静かに本を広げている青年・文(ふみ)と出会う。「うちにくる?」と問われ「いく」と答える更紗。文の家でかつてのように自由に、充実した生活をしていた時ニュースが飛び込んだ。更紗が誘拐されたということ、更紗がいなくなったとされる公園には不審な男が目撃されていたということ。更紗は誘拐されたと思っていないというのに。この生活は、長く続かないのだろうという嫌な予感が頭をもたげる。そしてある日、更紗は保護され、文は誘拐犯として捕まってしまう。二人は離れ離れになっても、互いを忘れられず、ずっと思い続けていた。互いに互いの人生を狂わせてしまったと思い、2度と会わない方がいいのではないかと思いながらも。

 

更紗と文の関係は、世間から見ると『誘拐犯と被害者』。だが、二人にとっては違う。周囲が『善意』と思いやっていることが、周囲が言う『普通の幸せ』が、二人にとっては何の救いにもなっていない。一度は世間の言う『普通の幸せ』の枠に収まろうと考える更紗。だが、拭えない違和感。物語の最後には更紗と文は二人の幸せを手に入れる。それは世間が言うようなものとは異なるが、彼らにとってはそれでいいのだ。更紗と文のふたりが、世界のどこかで穏やかに暮らしていてほしいと願わずにはいられなかった。

 

その人が幸せかどうかはその人が決めることだ。誰かが否定していいものではない。『正しい』『間違っている』ということは押し付けていいものではない。思い込みではなく、思いやりを大切にしたい。