『思いやり』について
たびたび起こる、芸能人の不倫問題。今回の件に関しては、そこら中で『思いやりのなさ』が指摘されているのが印象的だ。
1 他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。「思い遣りのある処置」「病人に対する思い遣りがない」
2 想像。推察。
「奥山の―だに悲しきにまたあま雲のかかるなになり」〈かげろふ・上〉
3 思慮。分別。
「ことに責むれば、若き人の―少なきにや」〈堤・花桜をる少将〉
思いやりとは相手の立場に立って、考えることをいう。考えるためには相手をよく観察する必要がある。そして、その人が何をしてほしいと思っているのか想像を巡らせる。思いやりを持つことは人間関係を円滑にするために大切なことだとわかってはいるが、心に余裕がないとそれも難しい。
時間に追われていると自分のことで手一杯になってしまい、周囲への態度が冷たくなってしまうことがたびたびある。特に、身近な存在である家族に対してそれは顕著に表れる。思いやりのない発言をしてしまった時はいつも後悔してしまう。心のどこかで、それはよくないことだとわかっているのだ。
『外』に対して、例えば道を譲ってくれた車に頭を下げる、何かをしてくれた相手に対して「ありがとう」と素直に言う。それがどうしてか『内』――、家族に対してとなると、なぜだか自然にできない。全員が、というわけではないが、経験があるという人は少なくないのではないか。家族はいてくれて当たり前。毎日顔を合わせていると、そんな風に思いがちだ。だが、どんな時も何が起こるかわからない。自然災害の多い日本だから尚更。しかも今年は新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の恐怖に晒されている。失ってから大切さに気付くのでは遅いのだ。必ず後悔がつきまとう。
今回、皮肉にも自身を振り返る機会となった。時間に追われ切羽詰まった状態の時、一瞬だけでもいい。立ち止まって考える時間を持ちたい。いくら時間がなくとも、ひと呼吸分くらいの暇はあるだろう。