ふつうのじゆうちょう

日々思ったこと、思い出したことを自由に書いていきます。

MENU

好きだと言えるものに出会うまでの話

この文と同じ意味を表す言葉はどれか。
この人物はどんなことを考えたのか。
国語のテストにはそういった問題が出てきた。その度に私は『いや、知らんがな』と思っていた。国語が大嫌いな子どもだった。

 

夏休みの宿題はさっさと終わらせてしまう派だったが、読書感想文は後回しにしていた。書くこと以前に、本の内容について考えるのが苦手だった。登場人物の気持ちなんて知ったこっちゃないし、本を読んで何かを感じるかというと「おもしろかった。……たぶん」で終わっていた。読書の習慣がなかった私は本を読むこと自体に苦労していた。昔から漫画よりアニメ、アニメよりテレビゲーム派だった。

 

人と話すのが苦手で、口数が少ない。基本的にコミュニケーションは家族のみ。更に本を読まないから語彙力が乏しい。漫画を読んでも「おもしろかった、以上」で終わっていたからなおさらだ。外部から何かを感じ、得ようという姿勢がなかったのかと思う。今となっては自分のことだというのに想像の域を出ない。あの頃の自分は何を思い、どう生きていたのか大人になった私には全くわからない。

 

小学校四年生の時に車に轢かれたことがある。轢かれたといっても、完全にこちらの不注意だった。自転車で下り坂をノーブレーキで走っていた。トンネルを抜けた瞬間に、向かいから来た車にかすって吹っ飛ばされた。幸いというかなんというか、膝を擦りむいただけで済んだし、自転車も無事だった。ここから若干トラウマなのだが、車を運転していた人が出てきてこっぴどく叱られた。心配の言葉は一切なしだ。私は泣きながら何度も謝った。どこの子どもだと名前を聞かれたが、それだけは意地でも答えなかった。私が悪いことをしたんだと、親に知られたらどうしようという一心で答えなかった。諦めた運転手は去っていった。そして私は泣きながら近くの公園に行って、傷口を洗った。そして何事もなかったかのような顔をして家に帰った。お母さんには「転んじゃった」と笑いながら言ったのを覚えている。二十年以上経った今でも、両親はこのことを知らない。話すタイミングを完全に見失った。どうしようかね。

 

この、車に轢かれた日以降、私はなぜか元気だった。数年後、幼馴染から「あの頃からキャラ変わったよね、頭打った?」と言われた。通知表にも『以前より明るくなった。趣味のことを楽しそうに話す姿が見られるようになった』と書かれたくらいだ。もしかするとあの時、私の中で何かが死んだのかもしれない。性格が変わってしまった理由はわからないが、楽しく過ごせるようになったのはいいことだと思う。

 

ろくに本を読まなかった私が中学生になって、小説を読むようになった。きっかけは、表紙のイラストが大好きなイラストレーターのものだったからだ。小学校六年生の時にハマりにハマったゲームと、同じ絵だったという理由で人生初めて小説を買った。今でもシリーズが続いている『キノの旅』というライトノベルだ。小説の面白さを教えてくれた作品だった。二巻に収録されている『優しい国』という話は号泣した。

 

素晴らしい作品に出会ったが別に国語嫌いが直ったわけではない。けれど、この出会いは間違いなくきっかけとなった。こうして記事を書いていることはもちろんだが、今では趣味で小説を書いている。新人賞にも定期的に応募している。小説を書き始めた時には二十歳を超えていた。イラストも描き始めた。これは初めて三年ほどだが、明らかに上達しているのがわかる。

 

何歳になっても新しいことを始めていいし、毎日続ければ絶対に上達するのだと身をもって知った。ただ、それには『好き』という気持ちが何より必要だ。自分がやりたい、やってみたいと心から思えるものと出会った時、とりあえず始めてみてほしい。それが続くかどうかはあなた次第。小説とイラストは続いているけれど、エレキベースは半年しか続かなかった者より。いや、マジで楽器向いてないです。と言いつつ、最近アコギを練習し始めました。全然弾けないです。コードチェンジ難しいね。

 

スマートフォン・PCに対応したアフィリエイトのA8.net  

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村